2015年11月15日

テロについて思うこと

パリのテロ事件があったばかりだが、テロについて思うことを書いてみる

「テロとの戦い」というが、この戦いは武力だけでなく、まず思想のレベルで勝つ必要がある。有り体に言えば、大義名分だ。自国民を納得させるだけでなく、イスラム国の戦闘員・指導者に、思想のレベルで反駁しなければならない。そうせずに、武力だけで解決しようとすれば、畢竟それは彼らのしているテロとそう変わりはないと感じる。

また、アメリカの無人戦闘機による暗殺行為はなんなんだ。敵国の幹部を狙っているというのだが、それで大義名分は成り立つのか?そして、かなりの割合で誤爆して民間人を殺害しているという事実はどうするのか?憎しみを増幅するだけの行為にしか思えない。無人戦闘機だと、カメラ越しにしか分からない情報で攻撃するしか出来ないのだろう。もうそういうことはやめて、無人戦闘機による暗殺行為は、国際法などで禁止して欲しい。
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2015年11月14日

NBB

最近の日本は、きな臭いものになってきたと思う
戦争推進、弱者切り捨て・・・
安保法制もそうだが、国家の中の手続き・審議を無視して、多数議席だけで通す、今の自民党には、本当にイヤになる。
安倍には早く退陣して欲しいのが、正直なところ。

彼と、ジョージ・W・ブッシュ前大統領が重なるように思えた。
二期目を目指した大統領選では、世にNBB(Nobody but Bush)と言わしめた。
911、アフガニスタン侵攻の後に行われたイラク侵攻は、イラクの大量破壊兵器保持が前提だったのだが、結局それは提示されずに、アメリカの支配地域拡大がなされた。
今、アメリカはISと戦っている。この戦いに終りはあるのだろうか?ISを仮に滅ぼしたとしても、また別の国や組織と戦争しているに違いない。

イラク侵攻が2002年で、あれから13年経つ。対岸の火事と思っていたが、戦争で利益を得る政治家や企業(いわゆる戦争商人)などの力がよほど強いのだろう。平和を求める声を踏みにじって、日本を巻き添えにして、安倍を使って、戦争法案を通した。

日本のブッシュを降ろすことも大事だが、戦争権益を解体するものも必要だろう。
まずは、NBA(Nobody but ABE)だ。
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2015年05月06日

5/5の哲学カフェ

5/5の哲学カフェ
1.I氏の時間論
カントが、アプリオリな形式として時間と空間を挙げたことについて
「現在しか認識できない。時間を空間的に捉えるのはいかがなのものか?」

2.M氏の道徳論
幸福と道徳を求めることについて
「道徳無くして、幸福を求めることはあり得ない」と

酒のんで話していたので、うまく文章に出来なかった
主宰者M氏からは、もっと突き抜けろと発破をかけられた(笑)
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2015年03月14日

万有引力引力定数が変わる?

今日は、いつもと違う哲学カフェに行ってきました。
自然科学の定数の話になったのですが、
(定数を求めることはできるが、なぜその定数になるのかは、自然科学は説明できないという流れだったと思う)
「万有引力定数は、星によって異なる」と謎の発言があったので、
私「万有引力定数は、どこに行っても変わりません」
「いや変わるよ」
私「スモールgは変わりませんが、ラージGは変わりません」
(補足すると、スモールgはF=mgの重力加速度、ラージGは、F=GmM/r^2のこと。
場所によって変わったら、「定数」とは言わないと思うのだが)

議論は、ファシリテーターによって、中断された。
しかし、カチンと来たのは、次に別の話で発言しようとした時に、
「科学の話はしないでください」とファシリテーターが言ったということ。
自由な議論の場なのだから、何故、私だけ発言を制限されなかればならないのだろう。
私には、理解できない注意だった。

自宅に帰る間、あれこれ考えて、文理の間の垣根は思っている以上に大きいのかと残念に思った。
そういう垣根を取り払うのが、哲学カフェの一つの目的だと思っていただけに、非常に残念な発言だと思った。
自然科学への無理解がここまで広がっていたとを実感し、少し寒気と寂しさのする思いで帰途についた。

キャベンディッシュが草葉の陰で泣いているよ!

初参加で、あまり私への信用がなかったかもしれない。
しかし、大抵理解が足りない側は理解不足を認識せず、永遠に思考の修正をしないために、
問題が私たちの側の力量不足になってしまう不思議さ。
でも、私は挫けないよ!
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2014年11月22日

物質と精神、貧しさと豊かさ

「昔は物質が豊かでなかったけれど精神は良かった。しかし、物質が豊かになった現代は精神が貧しくなった」という話がある。
最初は、本当かと反論した。
しかし、別の機会に私が話すと、思いがけず、自分がそのような主張に同意してしまっているのに驚いた。

難しい。正しくは、「物質が豊かになった現代では、物の有り難みがわかりづらく、精神的に貧しくなる危険性がある。しかし、精神的に豊かな人はたくさんいる。」という表現あたりが妥当か。
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2014年11月02日

自分で考えるということ

自分で考えることをしない又はできない人がいる。
「AだからBだ」という主張なら分かるが、「Bだ。Bだ。何故分からない。」と言う人がいる。
そういう人に、「論拠を示してください」と言うと、そこには触れずに、私に対する中傷を言う。
どうもその人は、私よりも年上で、もう大分いい年の方のようだが、人間的には非常に未成熟と言わざるを得ない。

問題にぶち当たっときは、大概なにかがエラーを出している。
そのエラーは、今まで常識とされていたことかもしれない。
そこで、考え方を修正して、エラーに対処できるかどうかで、その後の生き方は大分変わってくると思う。

自説にこだわるだけでなく、他説も傾聴しながら、生きていかなければ、人間として死んだも同然なのだ。
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2014年10月12日

希望と絶望

哲学バーに三回目の参加をしてきました。
テーマは「希望」でした。
大変有意義な二時間でした。
しかし、一点言えなかったことが有りました。
希望を選択肢の多寡と絡めていた方が複数いたことに、違和感を感じたのです。
選択肢が多ければ希望を持ちやすく、選択肢が少ないと希望を持ちにくくなる。
こういう論調がありましたが、私は何だか違和感を感じました。しかし、うまく言葉にできず、発言できませんでした。一晩明けて、わたしはこう思います。
選択肢がないと思われる絶望的な局面でも、機転を利かして、「選択肢を作る」ことによって、希望を見出すこともあるのでは?例えば、一休さんの「橋をわたるべからず」のとんち話を思い出してください。
逆に、選択肢があると思って希望を抱いていた局面でも、実はその選択肢が、他者が作ったまがい物で、中身の無いものであることに気づき、絶望することもあるのではないでしょうか?
ファミレスのメニューは、沢山ありますが、そのどれも自分の欲しいものでないことに気づき、絶望し、帰って、自分の食べたいものを自分で作るということに希望を見出す。そういう方向もあっていいと思います。
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2014年09月24日

某哲学カフェの私感

私の記憶違いも多々あると思いますが、哲学カフェの私感を書いてみます。

哲学カフェに初参加してきました。哲学バーには行ったことがあるのですが、カフェの方は初めてでした。場所は、少し分かりにくいところでしたが、地図を印刷して持っていったので、ほぼ迷うこと無く到着しました。しかし、開始45分前でした。遅刻するよりかはマシなのですが、どうも早めに着きすぎてしまいます。

主宰者(後で、ファシリテーターと聞きました)の方が既にお店に来られていて、「どうぞ」と仰っていただいので、入店しました。イス席かと思っていたら、座る席だったので、少し意外でした。

開始までの間、鷲田清一さんの『哲学カフェの作り方』が置かれていたので、ざっと読んでました。

さて、開始され、ファシリテーターのIさんから、『お題がありましたら、どうぞ』とありましたので、私は『死について語りたいと思います。自殺、他殺、戦争などです。』と言いました。次に、女性の方から、『現代のコミュニケーションについて語りたい』との意見があり、その二つに対して、挙手して決めました。私のお題は、僅差で負けました。

女性の方は、『現代は、近所付き合いがなくて、さみしい。インターネットが普及して、大事なものをわすれてしまったのではないか?』

別の女性の方からも『Lineは怖いので使っていない』

私は携帯がガラケーなので、Lineを知りません。そこで、Lineの怖さは何か教えてもらいました。

相手が既読がどうか分かるので、『何故返事しない?』で、トラブルになりやすいとのこと。

色々と活発な議論がされました。私の方からは、『農村→都市→ネット社会と変遷してきました。確かに近所づきあいは廃れてしまったと思います。しかし、見ず知らずの人と触れ合える機会を得たといえると思います。SNSやネットは、負の部分ばかり取り上げられるが、正の部分も評価しなければならないと思います。』

その後もいろいろ議論されたのですが、どういうわけか死の話になってしまいました。ファシリテーターから、『死を提案されたAさん、ご意見があれば』と言われ、困ってしまいました。虚を突かれました。適当に、『より良く死ぬためには、より良く生きなければなりませんね。ハハハ』と逃げてしまいました。

その後、女性から『安保闘争の頃は活気があったけれど、今は活気が無いように映る』との意見がありました。

私は、別角度から、『昔はステレオタイプの幸福像があったような気がする。入社して、がむしゃらに働いて、出世して、結婚して、子供が出来て、マイホーム建てるような感じです。でも、みんながみんなできるわけではないと分かった。幸せは多様化していて、自分なりの幸せを探す過渡期の苦しみに直面しているのかもしれないと思います。例えば、山奥で自給自足の生活をしている人がテレビで幸せですと話す。私はそういう生き方をしないですが、その人は幸せだと思う。』とお話しました。

あっという間の2時間でした。

最後に、店員さんから、『皆さんの議論の態度は素晴らしい。なぜ、ヘイトスピーチみたいなことがあるんでしょうね?』と質問されました。私たちの対話が、一つの果実として実ったのかもしれません。

『ヘイトスピーチに参加している人は、自分で物事を考えない人たちではないでしょうか?単に、賛同したいだけ。愛国主義の匂いがして、嫌ですね。』と答えました。

今日、次回の哲学カフェの案内がメールできました。都合がつけば、是非参加したいと思います。
posted by w1allen at 21:05| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月20日

私のマルクスに対する評価

 ハッキリ言って、マルクスのことはよく分かっていません。資本論も共産党宣言も読んでませんから。
 しかし、私でも分かるマルクスへの誤解があるようなので、ここで正しておきたいと思います。
 ソ連などの社会主義国家の没落を指してマルクスの資本論がおかしいというのは、論理的に妙だと思います。
 共産党の失敗は、資本論などのマルクス主義を恣意的に解釈して、自分の都合のいいように運用していた可能性があるからです。
 私達、資本主義国家の国民もマルクスの恩恵を受けていると思います。もし、マルクスがいなければ、修正資本主義というアイデアも出てこなかったのではないでしょうか?また、福祉や失業者対策も、今よりひどいものになっていたでしょう。
 マルクスの描いた国家の変転図は、資本主義国家→社会主義国家→共産主義国家という二階建てのものでした。しかし、いつこれらの「相転移」という革命が起こるかまでは、予言しませんでした。資本主義社会が没落するのは、実は相当長い年月が必要なのかもしれません。社会主義革命を志した人は、その時代に相転移が起こると確信していたかもしれませんが、残念ながら、相転移は失敗に終わりました。
 武力革命で社会主義国家を樹立すべし、という過激な思想もあったようです。これは、断じて許してはなりません。
 もし、マルクスが正しければ、相当長い年月を経て、真の社会主義国家が生まれるのではないでしょうか?
 また、資本論は古典的経済学の集大成でもあるので、これと数理経済学の融合も見てみたいです。
 いずれにしても、社会主義国家の没落、共産党の独裁政治の側面だけ見て、資本論はダメだというのは、早計だと思います。
posted by w1allen at 19:59| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする