2007年06月03日

[読む]埴谷雄高全集の話の続き

前回の記事[読む]埴谷雄高全集1"安部公房のこと"を書いた後すぐにhirokd267さんから示唆に富むコメントを頂いたので、埴谷雄高全集を読み直してみると、『終りし道の標べに』(原題:『粘土塀』)に関する興味深い話がさらに出てきたので、続きを書いてみる。

阿部六郎経由で送られてきた『終りし道の標べに』(原題:『粘土塀』)に感心した埴谷だったが、「近代文学」では平野謙に落とされると思い、思索社に持ち込んだが、「個性」に掲載するためには片山修三と論争しなければならなかったとのことだ。

"二つの同時代史・・ ・・ ・・大岡昇平◎埴谷雄高"(埴谷雄高全集16, P199-200)によると
埴谷 ぼくはその作品を読んで感心したんだが、「近代文学」にはわれわれ在京同人が新人の場合必ず回し読みするというシステムがあった。そして、回し読みしたら平野で落ちると思った。平野は存在感覚といったものを、おれの『不合理・・・・・・』(*1)の場合と同じように、受けいれない。そこでぼくは「近代文学」でなくて「個性」へ持っていった。


埴谷 とにかく『終りし道の標べに』は、哲学的でだめだって彼は言うんだよ。何言ってるんだ、これは哲学を文学として書いているんだ。新しい文学を「個性」は出すはずじゃないかと、おれは片山と二時間ぐらい論争した。そしてようやく、それじゃ埴谷さん、出しましょうということになって、『終りし道の標べに』がやっと出た。


また、"阿部さんの想い出ー附、安部公房のこと"(埴谷雄高全集11所収)によると
 ところで、前記の安部公房の作品は、北海道の実家に行つている安部公房が知らぬあいだに、昭和二十二年秋ごろ、阿部さんから私のもとへ送られてきた。はじめ、『粘土塀』と題されていたその作品の一種奥行きのある存在論的感触に感心した私は、青山庄兵衛に渡し、最後にこれは単なる思いつきだといつて受けいれぬ片山修三と、何いつてるんだ、すべてのはじめはひとの気づかぬただの思いつきからはじまるんだ、そこに深化があるかないかこそが問題なんだ、と大議論したあげく、雑誌「個性」に押しこんだが、発表時、『終りし道の標べに』と改題されたその作者の安部公房自身を長いあいだ私は知らなかつた。


ーーーーーーーーーー注ーーーーーーーーーー
*1.埴谷雄高の「不合理ゆえに吾信ず」のこと。
posted by w1allen at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 安部公房を読みこむ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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