2016年04月23日

境界線上に立つアートーデュシャンの「泉」を観て

私には、アートの師(哲学の師でもある)がいて、「アートとは何であるか?」「何がアートであるか?」の話をされるときに、必ずデュシャンの「泉」の話を持ちだされる。
そういうことがあって、京都近代美術館に「泉」が展示されていると聞き、観に行ってきた。要するにただの小便器なのである。それ以上でもそれ以下でもない。マット社の既成品の便器に「R・マット」と署名しただけなのである(手抜きじゃん!)。デュシャンが最初それを出品しようとした時は、断られたそうだ。しかし、その後評価され、当たり前のように美術館に置かれるようになったという。
私は、「泉」はアートの拡張であり、試金石だったのだと思う。その過程では、異端扱いや非難も受けるのだろう。アート空間の境界線に位置し、アートかアートでないか非常に際どい線上にある作品だと思う。具体的に展示を拒絶された理由を考えても、既成品(レディメイド)で、しかも汚物の処理器という二つのことで充分そうだ。
では、なぜ現在展示され、私たちは観ているのだろう?
「単純に、キワモノを観たいから」ではないと思う。「小便ー泉」という対極にあるものを連想させる「作品」が、実は「日常にある工業製品」の中にあったということが、私の理解だ。
「工業製品が、既にアート作品の資格を持っている」というパラダイムシフトを起こした記念碑的作品であるからこそ、美術館に設置される資格があるのだと思う。であるならば、レディメイドの芸術とは、工業製品=アート作品を日常の中から取り出し、アート空間の中に再配置することではないかと思うのだ。

【お知らせ】
オーダーメイド:それぞれの展覧会 | 京都国立近代美術館は、5/22(日)まで開催されています。デュシャンの他の作品もあります。作品の展示方法もなかなか面白かったですよ。
posted by w1allen at 22:07| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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