2014年09月24日

某哲学カフェの私感

私の記憶違いも多々あると思いますが、哲学カフェの私感を書いてみます。

哲学カフェに初参加してきました。哲学バーには行ったことがあるのですが、カフェの方は初めてでした。場所は、少し分かりにくいところでしたが、地図を印刷して持っていったので、ほぼ迷うこと無く到着しました。しかし、開始45分前でした。遅刻するよりかはマシなのですが、どうも早めに着きすぎてしまいます。

主宰者(後で、ファシリテーターと聞きました)の方が既にお店に来られていて、「どうぞ」と仰っていただいので、入店しました。イス席かと思っていたら、座る席だったので、少し意外でした。

開始までの間、鷲田清一さんの『哲学カフェの作り方』が置かれていたので、ざっと読んでました。

さて、開始され、ファシリテーターのIさんから、『お題がありましたら、どうぞ』とありましたので、私は『死について語りたいと思います。自殺、他殺、戦争などです。』と言いました。次に、女性の方から、『現代のコミュニケーションについて語りたい』との意見があり、その二つに対して、挙手して決めました。私のお題は、僅差で負けました。

女性の方は、『現代は、近所付き合いがなくて、さみしい。インターネットが普及して、大事なものをわすれてしまったのではないか?』

別の女性の方からも『Lineは怖いので使っていない』

私は携帯がガラケーなので、Lineを知りません。そこで、Lineの怖さは何か教えてもらいました。

相手が既読がどうか分かるので、『何故返事しない?』で、トラブルになりやすいとのこと。

色々と活発な議論がされました。私の方からは、『農村→都市→ネット社会と変遷してきました。確かに近所づきあいは廃れてしまったと思います。しかし、見ず知らずの人と触れ合える機会を得たといえると思います。SNSやネットは、負の部分ばかり取り上げられるが、正の部分も評価しなければならないと思います。』

その後もいろいろ議論されたのですが、どういうわけか死の話になってしまいました。ファシリテーターから、『死を提案されたAさん、ご意見があれば』と言われ、困ってしまいました。虚を突かれました。適当に、『より良く死ぬためには、より良く生きなければなりませんね。ハハハ』と逃げてしまいました。

その後、女性から『安保闘争の頃は活気があったけれど、今は活気が無いように映る』との意見がありました。

私は、別角度から、『昔はステレオタイプの幸福像があったような気がする。入社して、がむしゃらに働いて、出世して、結婚して、子供が出来て、マイホーム建てるような感じです。でも、みんながみんなできるわけではないと分かった。幸せは多様化していて、自分なりの幸せを探す過渡期の苦しみに直面しているのかもしれないと思います。例えば、山奥で自給自足の生活をしている人がテレビで幸せですと話す。私はそういう生き方をしないですが、その人は幸せだと思う。』とお話しました。

あっという間の2時間でした。

最後に、店員さんから、『皆さんの議論の態度は素晴らしい。なぜ、ヘイトスピーチみたいなことがあるんでしょうね?』と質問されました。私たちの対話が、一つの果実として実ったのかもしれません。

『ヘイトスピーチに参加している人は、自分で物事を考えない人たちではないでしょうか?単に、賛同したいだけ。愛国主義の匂いがして、嫌ですね。』と答えました。

今日、次回の哲学カフェの案内がメールできました。都合がつけば、是非参加したいと思います。
posted by w1allen at 21:05| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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