2010年11月03日

三浦雅士の『メランコリーの水脈』

三浦雅士の『メランコリーの水脈』を読み返しました。数年前に読んだときは正直あまり感銘を受けなかったのですが、今回は大変面白く読めました。戦後の日本文学をメランコリー(憂うつ)というキーワードで、串刺しにした意欲作です。

冒頭「メランコリーの水脈」では、安岡章太郎の『相も変らず』を取り上げて、
では何が問題なのか。自分で自分の真意がわからないということが問題なのだ。ではなぜ自分の真意がわからないのか。ー自分がいまここにこのようにしてあるというその事実がどこかしら腑に落ちないからである。真意がわからないということより自分がわからないのである。そして、このわからなさは、いうまでもなく、自分の自分に対する隔たりから発生している。すなわち、この図式もまた基本的にメランコリーに属しているといってよいのだ。


何という卓見でしょう。自我という最大の謎との対決を回避できない現代文学の状況、そしてその病理をものの見事に表しています。「何故に人間はかく在らねばならぬのか?・・・・・・」という存在論的疑問から始まる『終りし道の標べに』の冒頭ともリンクしているように思われ、共感できるものがありました。

続きは、また近日中に。

タグ:mind novel review
posted by w1allen at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 安部公房を読みこむ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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