2010年10月02日

玉井五一と針生一郎

本日、「郷土誌あさひかわ」平成22年10月号が送られてきました。渡辺三子さん、いつもありがとうございます。開けると、文芸評論家玉井五一氏の「安部公房讃」というエッセイが載っていました。

この三浦文(*1)は私にはなかなか刺激的で、たまたま誘われた針生一郎を中心とする読書会でも、針生氏は早くからの安部さんの僚友だったということもあって、私はあえてそこでのひとつのテキストとして提案し、承諾されたのだったが、充分検討されぬまま、この春、針生氏は急逝した。それはともあれ、この三浦文はさらに追尋されなければならないと私は考えている。


この記事で針生一郎の訃報を知り、検索してみますと、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ/針生一郎インタヴュー1が目に止まりました。

安部公房とは「夜の会」を通じて出会い、安部が中心となって活動していた「現在の会」で、文学学校への就職を勧められたそうです。

また、以下のようにも述べています。
その前にさっきの安部公房のからみで言うと、野間宏、安部公房、僕というのが、『人民文学』派から、六全協後に党の統一で『新日本文学』に戻った。野間、安部とも新日本文学会員のまま『人民文学』あるいは文学学校に関わっていたんだけども。


安部公房は新日本文学に復帰してそれをひっかきまわすだけひっかきまわして、さっと記録芸術の方に逃げちゃったというある種の仕事師だというイメージが中野さん(*2)にあっただろうから。そこからきてるなと思ったことがありますね。

初期の安部公房の文学・芸術活動の一端が垣間見られて、大変興味深かったです。

引用者注
*1. 「安部公房全集030」の贋月報「安部公房の座標」のこと
*2. 中野重治のこと
posted by w1allen at 19:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 安部公房を読みこむ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アレンさん、こんにちは。先日はお世話になり有り難うございました。
玉井氏のことはよく知りませんが、「この三浦文はさらに追尋されなければならないと私は考えている」とのことですね。その内容が気になります。私も‘追尋'すべきという立場でヤフー掲示板にその一端を展開したのですが。

針生氏も亡くなられました。先月には武井昭夫氏も。公房に直接つながりのある人々が少なくなっていく中、玉井氏がこのあたりを発表されるのを切に期待したいです。
Posted by hirokd267 at 2010年10月03日 02:08
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