2006年02月12日

[語る]賽の河原というモチーフ


 安部の作品には、地獄や賽の河原という言葉が結構よく出てくる。賽の河原とは、
「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため・・・・・・」というやつだ。

『砂の女』では、主人公が女に対して、砂掻き作業を賽の河原に例え、その非生産性を非難した直後に、
「賽の河原って、あれ、しまいに何うなるんでしょうかねえ?」
「どうもなりゃしないさ・・・・・・どうにもならないから、地獄の罰なんじゃないか!」

というやりとりがある。
(新潮文庫初版 P179)

また、『方舟さくら丸』では、蜜柑口に行く途中で
 積み石が行く手をはばんでいた。切り出しというよりは、かち割った感じの、大小の砕石だ。なかには、賽の河原の塔みたいに積み上げられたものもある。

という描写がある。
(新潮文庫初版 P205)

そして、賽の河原というと、『カンガルーノート』を外すことはできない。
主人公が賽の河原にやってきて、小鬼と話す場面がある。

「この川の名前は?」
「三途の川」
「賽の河原ってわけか」


また、小鬼が、例の歌を歌う場面がある。

御詠歌ふうの節回しで、ハンド・マイクを通した小鬼の声が寒々とながれはじめた。

(中略)

ひとつつんでは ちちのため
ふたつつんでは ははのため
さんじゅうつんではふるさとの
きょうだいがみをえこうして

(安部公房全集29巻 P120-121)

「ははのため」以降にも歌が続いている。
このことに関連して、河合隼雄との対談で、安部は次のように語っている。
意外に知りませんね。前も後ろも、知っている人は意外にすくない。かなり苦労してしらべてもらったんです。まず坊さんにあたってみたけど、駄目だった。こんなものは仏典にはありませんと(笑)。さらに調べてもらったら、これはどうも御詠歌で・・・・・・。


(安部公房全集29巻 P220-221
境界を越えた世界ー小説『カンガルー・ノート』をめぐって
[対談者]安部公房・河合隼雄)
(また、この対談は、『こころの声を聴く』にも収められている。)

御詠歌とは、goo辞書によると
霊場の巡礼者や浄土宗信者の歌う、仏や霊場をたたえる歌。和歌や和讃に単調で物悲しい節をつけ鈴(れい)を振りながら歌う。巡礼歌。詠歌。

というもの。

賽の河原には、水子が親の罪を償うという矛盾を抱えつつ語り続けられるという、民間伝承独特の魅力があるように思う。
posted by アレン at 08:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 安部公房を読みこむ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご無沙汰しています。安部公房の「賽の河原」についてまとめていただいて、すっきりした思いです。散在する資料をこうしてまとめるのはかなりの労作だったことでしょう。画面も見やすくていいですね。
「賽の河原」の解釈については、一般には親に先立った子や水子がその親不孝を償うものとされているようですが、親の側が伝承してきたことを思えば、その裏には当然、親の後悔、ざんげの気持ちがあったと思います。そしてこの伝承を子に話して「だから親より先に死んではいけないよ」と言っていたかもしれませんね。
Posted by hirokd267 at 2006年02月23日 01:32
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