2014年10月12日

希望と絶望

哲学バーに三回目の参加をしてきました。
テーマは「希望」でした。
大変有意義な二時間でした。
しかし、一点言えなかったことが有りました。
希望を選択肢の多寡と絡めていた方が複数いたことに、違和感を感じたのです。
選択肢が多ければ希望を持ちやすく、選択肢が少ないと希望を持ちにくくなる。
こういう論調がありましたが、私は何だか違和感を感じました。しかし、うまく言葉にできず、発言できませんでした。一晩明けて、わたしはこう思います。
選択肢がないと思われる絶望的な局面でも、機転を利かして、「選択肢を作る」ことによって、希望を見出すこともあるのでは?例えば、一休さんの「橋をわたるべからず」のとんち話を思い出してください。
逆に、選択肢があると思って希望を抱いていた局面でも、実はその選択肢が、他者が作ったまがい物で、中身の無いものであることに気づき、絶望することもあるのではないでしょうか?
ファミレスのメニューは、沢山ありますが、そのどれも自分の欲しいものでないことに気づき、絶望し、帰って、自分の食べたいものを自分で作るということに希望を見出す。そういう方向もあっていいと思います。
posted by w1allen at 12:15| Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする